ブログ「クロロフィル通信」

2023.12.18 [ クロロフィル通信 | トヨタネ社員の日常 ]

今も語り継がれる新城市のヒーローのご紹介

こんにちは、豊川営業所です。
今回は、新城市のヒーロー「鳥居強右衛門 (とりい すねえもん)」をご紹介します。

鳥居強右衛門は、何をした人???   

大河ドラマ「どうする家康」の「長篠を救え!」を見られた方はご存知かと思いますが、武田軍に包囲された長篠城から援軍を求めるため岡崎城に向い、城に戻る途中に敵に捕まりながらも、命を顧みず味方を勇気付けた人物です。

当時、長篠城の約500人に対し、武田軍は1万5千人の兵で攻めてきました。戦いが始まって数日間は防戦していましたが食糧が尽きてしまい、援軍を求めるため岡崎城の徳川家康へ使者を送ることになりました。この役目を務めたのが足軽の「鳥居強右衛門」です。
鳥居強右衛門は、夜に城を抜け出し岡崎城に向かい徳川家康に援軍を求め、援軍の合意を得たことを知らせるため長篠城へ戻る途中、武田軍に捕らえられ長篠城の仲間に「援軍は来ない」と伝えるよう命令されました。しかし、死を覚悟した鳥居強右衛門は、「援軍はすぐ来る」と城の仲間に向かって叫び味方を鼓舞しました。結果、武田軍によってはりつけにされ殺されました。

【はりつけ姿の鳥居強右衛門が描かれた看板】
 はりつけ姿の鳥居強右衛門が描かれた看板

鳥居強右衛門の行動のおかげで、援軍が近いことを知った長篠城の人々は城を守り続け、織田・徳川の連合軍の援軍が到着して、長篠・設楽原の戦いで戦国時代最強の騎馬隊の武田軍に勝利しました。
この鳥居強右衛門の決死の決意行動がなければ、長篠・設楽原の戦いの結果も歴史も違っていたかもしれません。城の仲間を救った鳥居強右衛門は、450年近くたった今も新城市で深く愛される存在で、その勇気ある行動は新城市のヒーローとして語り継がれています。

【長篠城址史跡保存館】
 長篠城址史跡保存館

新城、奥三河方面へお出かけの際は、新城市の長篠城跡とともに、長篠城址史跡保存館、鳥居強右衛門がはりつけにされた場所などにお立ち寄り下さい。当時の長篠の戦いを垣間見ることができます。

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