ブログ「クロロフィル通信」

2019.10.12 [ クロロフィル通信 | トヨタネ社員の日常 ]

1943年(昭和18年)1月~3月頃の古い記事を調べる。

こんにちは。
市内在住の方が数カ月前から過去の記事を調べて発見できないことを耳にしていました。
気になっていたので私も時間を見て休みの日に図書館で調べてみました。
それは1943年(昭和18年)1月~3月頃と思われる記事。
今から76年前の出来事。
豊橋市公会堂で開催された大きな「弁論大会」。

~その前に~
その時たまたま発見したのが温室メロンの記事と秋トマトの記事である。
◎温室メロンの記事は1943年(昭和18年)3月25日市内吉川町で定植準備が始まる。
◎秋トマトは前年の12月12日豊橋の秋トマト豊作。
市内北島町、吉川町、吉岡町。(北島町、吉岡町かどうか不鮮明で分からない?)
仕事柄結構感動するものです。

~当時の「弁論大会」~
正式名も分かりません。また開催月日など詳細も分かりません。
ただ三河大会は豊橋市公会堂で開催された。
収容人員1524名、その他名古屋などでも開催された。

この依頼を受けた方の母が県知事賞と賞金を頂いた。
受賞されたかたの名前もわかりますがここでは個人情報の関係でオープンに出来ませんが。
賞状は勤めていた会社が保管していたと思われる。
1945年(昭和20年)豊橋空襲で豊橋の市街地の90%が焼失。
その会社も社屋、工場を焼失した関係で残っていないと考えられる。
現在も会社はある。歴史ある会社、始まりから数えると200年を超える企業。

豊橋市中央図書館に行って調べる。
豊橋市中央図書館
当時の中部日本新聞、現在の中日新聞の記事を調べるも確認できない。
調べたのは1942年11月~1943年4月まで調べてみましたが発見できず。
寒い時期でマフラーをしていたという記憶から絞って。

戦時中は紙質など保存状態が悪い。
返って明治時代の新聞のほうが綺麗であった。クリアである。
マイクロフィルムにして保存していたものをPDF化している。
相当見ずらい。データベース化されていないので検索は出来ない。
ひたすら画面とにらめっこである。

殆どが戦時下で暗い記事、軍事色が強いです。このときは色がない時代を感じました。
古い記事を探すことは困難な感じです。愛知県公文書館や商工会議所、市役所など。
当時在籍した会社へも確認しましたがあまりの時間経過で分かりません。

当時NHKラジオでも放送していたようです。
大きな大会でもあることは事実のようですがキーワード愛知県で開催された「弁論大会」。
国威発揚の意味合いが強く軍事色の強い大会だったかもしれません。

TV番組のファミリーヒストリーのようには行きません。残念ながらです。
調べると発見があります。

現在使用されている新聞紙は両面印刷してもインクが滲まないのはなぜ?
三相構造、真ん中に機能性シートがあり滲まない。

そう言えば種を蒔いたとき新聞紙で覆って散水すると新聞紙を透って種まで届き発芽を促します。
コピー紙などの紙は透水しないので向きません。

明治時代は片面印刷?フォントも印刷も綺麗でした。
戦時下では余裕が無かった。空白の時代。

この会社に在籍しているからこそ「温室メロン」や「秋トマト」の記事は新鮮に感じました。
調べたかったことは残念ながら現時点では分かりませんでしたが。
依頼された人からありがとう。もうわからないから一旦終了のことば。

完結は出来なかったけれど過去を調べることも重要ですね。
少しは歴史の流れを知ることが出来ました。

編集室

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