ブログ「社長のつぶやき」

2011.02.22 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

IT世代

中東の騒乱が止まりません。根本的な理由は長期独裁政権の腐敗と抑圧、そして貧富格差の拡大であり、直接的なきっかけは食糧価格の高騰であると思います。そして政権打倒に至るまでのエネルギー源かつ触媒はインターネットであったことに間違いありません。「IT革命」と言われる言葉はありましたが、まさに現実の「革命」を主導したのです。


振り返ってみると私の年代(53歳)は、成人してからIT革命とともに生きてきた「生き証人」です。
私は大学時代(1977年)京都で「下宿」学生でした。もちろん親元を離れたのは初めてです。京都は昔から学生が多く「下宿屋さん」が数多くありました。1階には大家さんが住んでいて、2階や離れを学生に貸すのです。私は大家さんが住む真上の2階の真四角の八畳間を借りていました。大家さんに音が聞こえるのでテレビも買いませんでした。電話は大家さんの居間しかありませんから、今思うと親と連絡を取った覚えはほとんどありません。しかし親のことは日々の生活から抜け落ちていた不孝者といえども、青春時代です。「川西はん、おなごさんから電話どすえ」と大家のおばあさんが階段の手すりにつかまりながら連絡してきます。私は1階の大家さんのこたつのある部屋の電話で、こたつに入っている大家の家族の皆さんに聞かれながら、その「おなごさん」と話をしなければならないのです。かけてくる「おなごさん」も勇気が必要だったと思います。それが私の大学4年間の ITの実態です。


会社に入り(1980年)、しばらくしてFAXなるものが普及し始めてきました。それ以前はタイプライターを使ってテレックスという時代でしたが、海外貿易に用のない我社はテレックスなど使用していませんでした。
FAXの導入を巡ってはしばらく会社で議論がありました。つまりFAXがあることがわかると「蕎麦屋の出前」ができなくなると危惧をする人がいたのです。例えば見積書を早く持って来いとお客に言われて、今までなら「出来ていますので明日お持ちします」といえたのですが、FAXですぐ送れと言われると困るということです。ほどなくFAXは普及しました。

1980年代はワードプロセッサーの時代でした。字が下手、かつ整理のできない自分には、とても重宝しました。しかしベルリンの壁が崩壊した1989年にはまだインターネットも携帯電話もありませんでした(正確には一般社会にはなかった)。したがって東欧革命にはITの力は作用していません。

90年代に入るとパソコンが身近なものとなり、ポケベル時代を経由し、やがて携帯電話が普及し、やや遅れてインターネットが普及してきたように感じます。オフコンと言われた業務用コンピューターもほとんどパソコンネットワークに変わりました。

そして21世紀に入るとインターネットと携帯電話が融合し、今はスマートフォンの時代です。私もブログは少々書きますが、ツイッターそしてフェイスブックと言われるともう距離感がありますし、クラウドコンピューティングと言われると、その概念が理解できなくなっています。

ちょうど自分が大人になったとき、あるいは社会人となったときから、情報革命が湧き上がったように思います。良い時代に生まれたというべきかどうか?いずれにせよ新たな情報革命に必死になってついていこうとした最初の世代だったような気がします。私より上の団塊の世代の人の多くは、周回遅れで取り組んでいるように思えました。抵抗感や反発心のある人が我々の世代より多かった様な気がします。


そして今も経営の前線にいる以上、これからもIT革命についていく努力をしなければいけないと思いつつ、「まあこの辺で進歩も止まってほしい」と思っているのは私だけでしょうか?

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