地産地消といえば、一般的には農産物についての概念と思われています。
近い言葉としてイタリア発の「スローフード」、韓国での「身土不二」運動などが有名です。
集中よりも分散、人工的な物よりも自然に近いものが大事というイメージに繋がります。
地産地消のメリットは大きく2つあります。
一つは「フード・マイレージ」が小さく、結果としてCO2排出量低減に役立つという実利的な面。
もう一つは地元産の伝統食材を大事にすることが健康に良いというイメージです。
ほとんどの場合「地産地消」は肯定的な意味合いで使われることが多いと思います。
かつて市の農業委員をさせていただいた折、こんな討論がありました。
一部の委員が地産地消の推進を唱えた際、猛然と批判の意見を述べたキャベツ農家が見えました。
「豊橋の甘藍(キャベツ)栽培は典型的な輸送園芸だ。温暖な気候を利用した冬季収穫の一大産地、全国に売ることを大前提としている。地産地消の推進は自らの首を締めるようなものだ」と。
私は大いに納得しました。
日本は緯度的には極めて縦長で、亜寒帯から亜熱帯地区まで有する。
食料自給率の低さをよく問題にされるが、一方で1年を通して国産野菜を食することができる稀有な国でもある。
スーパーマーケットに行けばどの季節でも当たり前のように国産の甘藍・胡瓜・トマト等が並べられている。
意外と消費者はこの日本の特異性を理解していないような気がする。
カロリーベース食料自給率の低下を大問題と考える人の立場もわかるが、野菜・果樹:花卉生産において非常に恵まれた国であることも間違いない。
水も概ね豊富でしかも良質です。
北海道に住む人が地産地消で冬にトマトを食べたいと思うなら、膨大なエネルギー支出(CO2排出)を覚悟しなければならない。
こと日本においては「地産地消」よりも「適地適作」のほうがエネルギー収支上も有効だろうと思います。
尤も、旬の露地野菜以外は食べないと言う人には、「地産地消」は大切な概念ですが、カーボンゼロを目指す2050年においてもかなり少数派だろうと推察します。
そんな時ふと思い当たったのがエネルギー、とりわけ電力の地産地消の取組こそ大事ではないかということです。
東京都に食料の地産地消を求めても無理だと思うが、電力ならもう少し地産地消を考えることができるのではないか?
もちろん原電が前提ではなく自然エネルギーを前提として。大都会には、たとえ景観を損ねても、大型の海上風力発電の景観を受け入れてもらうしかないのではないか。
電力の地産地消は技術的にも経済的にも莫大な課題があるようですが、少なくとも2050年カーボンニュートラル、地球温暖化防止の観点からも電力の地産地消、あるいは自給自足概念の方が、食料の「地産地消」よりも遥かに人類生存上の重要問題だと思うこの頃です。