2018.11.01 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
弊社創業50周年に当たり、ささやかな社史を編纂させていただきました。50年は半世紀、かつて人生50年と言われた時代がありました。現在では現役で働ける時間が約50年です。とは言ってもさすがに100周年時に創業時を生きて語れる人はいないでしょう。50年はやはり大きな節目、未来のため会社の羅針盤として歴史を記録することは、意義あることと考えました。しかしこれも50年間ご支援いただいたお得意様、仕入れ先、関係先、そして何よりも歴代の諸先輩、創業役員、また社員スタッフ皆様のお蔭と改めて感謝申し上げます。
昭和43(1968)年10月31日、弊社は豊橋・田原の4種苗店が新たに資本を出し、社員を転出させて産声を上げました。振り返ればまさにジャストタイミングでした。同年は東三河全域に豊川用水が開通し、地域農業の劇的な近代化が予見できる年でした。また日本経済は毎年10%以上の高度成長期、工業の発展と同時に農業も高度成長期を迎えていました。まさに「旬」だったのです。そうした時に手前味噌ではありますが、企業合同を成し遂げた4人の創業者の才覚、そして並外れた幸運を感じずにはいられません。性格や考え方も全く異なる4人の経営者の下で働く社員はもっと大変だったと思います。しかし需要が供給をはるかに上回る時代、内部の軋轢にとらわれる間もなく、どんどん拡販できたことが今日まで続く最大の要因であったことは間違いありません。新会社を信じて多くの注文を出していただいたお客様のおかげと改めて御礼申し上げます。
創業50周年を迎えるに当たり、未だに完全には解けない疑問があります。創業前、私は小学生でした。何度も父親の車に乗って現在の本社地を見に来ました。車の中で深刻そうに話し合う父と母の会話をよく覚えています。50周年を迎えるに当たり、残念ながら創業時の4名は既にこの世を去っています。最大の疑問は、誰がトヨハシ種苗((現トヨタネ)設立構想を持ち出したのか、またどうして合意できたのかです。実はこのことは私の父も含めて、創業者4名の誰からも具体的に聞いていません。それはある意味素晴らしいことで、誰も自分の手柄にしなかったということを意味します。近年ほぼ定説になったのは、創業の一人が、最重要な仕入先種苗メーカーの協力を得ながら発案し、他の3名が時節や当時の商売環境を総合的に勘案し、合意に至ったということです。合意の中の一つが、新会社は販売会社でありながら、自前の「研究農場」を持つということでした。このこともその後の弊社の発展と人財育成、商品開発につながったのです。
私たちトヨタネはこれからも「豊かさ実る、タネを。」を合言葉に、園芸農業の種蒔から収穫までの様々な課題解決に役立つ企業を目指して、真摯に、そして誠実に歩んで参ります。
皆様のより一層のご指導、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
川西裕康
2018.10.09 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
いきなり「ゲノム編集について」のタイトルをつけてみたが、正直さっぱり技術的には全くわからない。DNAの配列を正確に認識し、特定の場所を切断する「酵素」の発見と仕組みの解明がポイントと言われても、ほとんどの人には理解しがたいのが現状だと思う。
しかし一方、近未来最も重要な技術は「AI」(人工知能)と「ゲノム編集」であろうということは直感的に確信している。だから興味があり、解説本を読んだり、業界主催の講演も聞きました。ゲノム編集についての問題意識を私なりの視点で整理してみようと思います。
1.近年CRISPR/Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)という酵素の発見によって、ゲノム編集が非常に容易に、しかも低コストで実施できるようになった。専門分野であれば、大学院生レベルでも実験が可能と聞く。
2.一方、遺伝子組換え技術及びその成果としてのGMO作物について、日本及びヨーロッパでは社会の許容が難しい中で、「ゲノム編集」と遺伝子組換えの差異、境界線の認知が進まないこと、どちらかと言えば思想上は遺伝子組換えと同等と受け取られている傾向が強いことである。カルタヘナ法の適用範囲の有無についても明確な区分ができているとは思えない。
3.しかし1.で述べたように技術的・資金的なハードルが下がる中で、社会の許容が進まないことを理由に研究を停滞させると、米国や中国をはじめとした国々との技術的ギャップが拡大すること、現に日本においても、様々な飼料作物や加工食品、綿を用いた衣料には主にアメリカの遺伝子組換え商品が氾濫している。また今後は医療分野、特にガン治療等において大きな期待がかかるが、その多くの果実はゲノム編集積極国に利益をもたらすだけになる可能性がある。
4.ゲノム編集とは開き直っていえば、ダーウィンの進化論上の理論「突然変異」であり、まさに予期せぬ遺伝子の入替が起きることであり、遺伝子組換えは自然界では起きないが、ゲノム編集はその「偶然」を計画的に起させる技術であるということ。また交雑の後代を商品化すれば、遺伝子組換えの痕跡がなくなる。
5.従って近未来に考えられるのは、各メーカーの研究所レベルでは「ゲノム編集」は急速な勢いで活発に行われる、あるいはすでに激烈な競争に入っている。しかしその利用は「原種」や「親種」としての利用であり、商品としての成果物にはゲノム編集を活用したか否かは明確にしない、あるいは明確にする必要がないという方針が続くのではないかと推察する。その分「親種」の数は倍数的に増えるのではないかと思う。
川西裕康
2018.09.05 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
セピア色の写真を整理していたら、学生時代の登山を思い出した。山登りで一番楽しいのは、夏場の沢登り。なんといっても涼しいし、飽きない。尾根伝いの縦走も楽しかったが、時間を忘れるということはなかった。岩場に差し掛かった時の原則は一つ、3点確保(四肢のうち、一つだけを動かして前進する)で登ることが可能かどうかである。不可能と判断すれば、何時間かけても迂回する。
迂回はブッシュとやぶ蚊、時々蛇に阻まれ、正直嫌いです。
岩登りに入る前には必ず想像力を働かせる。今自分は命の危険を冒そうとしている。もし滑落すれば仲間に迷惑がかかるし、死んでしまうかもしれない。死んだら親が悲しむ(当時は携帯TELもない一人暮らし、沢登りに行くこと自体家族に報告していない!)。目の前の危険をしっかり認識し、滑落すれば多くの人を困らせ、悲しませることになるということを具体的に想像できるように少しだけ瞑想する。そしていざ、登攀。難所にさしかかったときには尚更、3点確保の意識と、想像力をビジュアル化するよう心がける。沢を登り切ると大抵は眺望の良い尾根に出る。その時の爽快感は格別です。また水系の源流を制覇したというのはなんだか私にはとても自己満足が得られるものでした。
3点確保の原則は経営をする上で最も大切な思想だと思っていますし、おかげさまでこの年になって、当時の思い出と今の私は繋がっていると強く感じるようになりました。しかしそれは少々保守的で、臆病すぎるかもしれません。スピードが求められる現在、上記の話には時間軸がありません。また2点確保も覚悟しないと、そもそも登れない沢もいっぱいあります。どちらかというと経営上はかつてよりも2点確保に挑んでいるような気もします。いずれにしても人工登攀や、ハングオーバーを一点確保で登るような芸当は自分には馴染まない。
が、どうしても登りたいときは2点確保も厭わない!そのような考えで進むことができたらと思っています。
川西裕康
2018.08.10 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
私が業界に入った頃(昭和50年代)、苗作りは農家にとって最重要な仕事、苗半作、または七分とまで言われた。良い苗を作ることが、篤農家の定義であり、良い収穫を得るための必須条件だった。それが平成に入るころから徐々に様子が変わってきた。多くの施設トマト農家は8月に定植する。栽培面積は増え、連作による土壌病害も深刻になり始め、接木という作業も必要になってきた。大規模栽培を指向する農家から徐々に買い苗に頼るようになり、現在も夏場の苗生産は全国的に供給が需要に追い付かない状態が続いている。私なりにその要因について考えてみた。
①真夏の接木の難しさ:春ならば、気候もよく、適切に保温・保湿させることで接木は比較的容易であるが、真夏40度も超えるような環境下で安定して接木を行うことは非常に難しく、一定の設備投資が必要となる。
②大規模志向と分業化:規模拡大を目指す農家は、生産に専念したい。育苗のための施設を別途用意するよりも、生産面積を増やしたい。
③夏休み少しは休みたい:苗作りは最も神経を使う農作業、苗を自作している間は、休めない。収穫中は休みが取れないほど忙しいので、結局1年中休めないことになる。家族サービスや旅行の計画も立てることができない。業者に委託したほうが精神的に楽。
④苗種類があまりに複雑:品種の選定、台木の選定、苗の種類(ポット苗・プラグ苗・グローブロック苗等)の複雑さ、1本植え、2本植え、はたまた1本植えの2本ピンチ苗等、選択によって無限大と言ってよいほどのバリエーションがあり、過去の経験値が追い付かない。
⑤タネ屋としては言いにくいが、タネ代もばかにならない:高価な種を定量で買うよりも必要本数の苗をピンポイントで買った方が結果としてお値打ち感がある。
結果として、日本農業が少数精鋭化すればするほど、「買い苗需要」は高まる。採算性は後から考えるとして、会社として静岡県磐田市に新たな苗生産施設を建設することを決めたのは、以上の理由です。
現在磐田市内で建設中「苗生産施設」
ドローンによる8/6撮影(北側より)
トヨタネ株式会社
川西 裕康
2018.07.13 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
デンソーさんとの出会いは、東北大震災の起きた激動の2011年、当時弊社は施設園芸の先進地オランダ視察を毎年実施していた。その視察を通じて多くの社員がハウス環境を適切に管理すれば、単位面積当たりの収量を飛躍的に向上させることが可能であるということを理解していた。また地域としても多くの若手生産者が「勘」による管理から、数値に基づいた管理の重要性に注目し始めた頃でした。
一方デンソーさんは、車関連事業以外の新規事業を模索していた。デンソーの理念「地球と生命を守り、次世代に明るい未来を届けたい」から「農業支援事業」がその理念に沿うものの一つとして採用されたと聞いている。弊社の仕入れ先からの情報経由でデンソー担当者が弊社に見えた折、農業用ハウスの統合環境制御に関心があると申し出たところ、車の環境制御、つまり車内空間の最適環境を設計するのはデンソーのコア技術なので、農業用ハウスにも応用できるかもしれないと申し出ていただき、開発が始まった。当時農業用の高度な環境制御装置はオランダ製がほぼ独占していた。開発研究が始まってからの(株)デンソーさんの圧倒的なスピード感と、開発プロセスや商品品質へのこだわりに何度も度肝を抜かされた。それにしても、やりたいとは思いながらも開発部門も予算もないに等しい弊社の元に(株)デンソーさんが来てくれたのは、はっきり言ってこの上ない幸運でした。デンソーにとっては弊社の顧客やJAさんを通して施設園芸業界のニーズを把握することができた。2015年ついに国産初と言ってもよい高度な統合環境制御装置「プロファーム」を販売開始した。
しかし発売が進むにつれ、このプロファームの能力を最大限生かすためのハウスそのものの提案も必要ということに行きついた。(株)大仙さんは弊社と同じ豊橋を本拠地とする日本最大のハウスメーカーです。大仙も、ハウスという「箱」売りだけでなく、内部装置やノウハウを加えた付加価値の高い商品を開発したいという機運が内部にあった。そこで3社の提携が始まり、プロファームコントローラーの能力を最大限生かしつつ、イニシャルコストも低減させるというコンセプトの元、「プロファームT-Cube」の開発が始まりました。
そして現在は2019年5月の販売を目指して3社で新しいチームをスタートさせたところです。
代表取締役社長 川西裕康
2018.06.09 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
日本の施設園芸の規模は1999年5.5万haだったのが、2017年は4.3万haと20年間で約1万ha減少しました。近年は減少率も加速度がついているという。人口規模が1/2以下の韓国と比べても規模及び内部設備において後れを取っているのではとの焦燥感もあります。そうした現状を鑑み、今後はオランダに匹敵する高生産性を目指しながら、極力コストダウンの計られた1ha規模、投資額2億円程度のハウスが中心となることが望まれるようです(行政並びに業界団体等との会合の中での議論における私なりのまとめ)。そうした方向性に向け大規模ハウスが可能となる農地法の改正や政策議論が活発になりそうです。しかし国内の施設園芸メーカーにおいて、1ha規模を前提とした商品開発が活発とは必ずしも言えない状況にあります。オランダはすでに10ha以上の温室を前提とした技術開発に集約されていると聞きます。現状でも数ha規模であれば、相当な輸送料がかかろうとも、オランダ施設園芸をそのまま持ち込んだ方が安いし効率的という声もあります。
弊社が基盤とする東三河地方、中でも豊橋市はここ数年概ね20~40a規模の新設ハウスがたち始めています。大規模農家はこうした数10a規模のハウスを複数経営し、結果として1ha規模の施設経営を指向しているように見えます。雇用労力の確保は共通した深刻な課題ですが、複数ハウスの方が、労力の分散や様々なリスクの回避には適しているように感じます。また投資規模も2億というよりも取りあえずは1億が心理的な壁、1億投資が順調に償却できたらもう1億という方が経営の安定性は高いように思います。いずれにしてもどちらが将来の姿として適しているということではなく、近未来の日本の施設園芸の姿を展望しつつ、これからも専業プロとして頑張る生産者に寄り添える企業でありたいと強く念願しています。
2018.05.07 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
弊社の決算月は4月、5月からは新年度です。ゴールデンウイークの真っ只中なのが、大きな欠点です。例年5月2日に全社員が集合する経営計画発表会を行います。この日がよいのは、ホテルに大きな行事が入らない特異日だからですが、まとまった休日を取りたい社員には迷惑かもしれません。来年は更に難題です。2019年5月1日は「改元の日」、この日が祝日(休日の可能性もあり)になるとなんと9連休、土曜もカウントすれば10連休です。ただこの時期に10連休をとれる国民は何%いるのだろうと皮肉を言いたくもなります。少なくとも小売業やサービス業、観光業界は大忙しです。弊社においても、春野菜需要の最盛期、農家においても収穫や、収穫前準備で大忙しの頃です。結論として来年の5月2日も発表会を実施すると決定しました。
5月から新年度、会社にとってはお正月のようなものです。しかも今年は創立50周年度となります。会社にとっては大きな節目、どう考えるかによって違ってきます。会社の寿命100年と考えれば、折り返しになりますが、200年以上続けたいと思えば、50年はまだまだ青春期です。当然私としては後者の気概で臨みたいと思っています。しかも50周年が終了すると「改元」です。51年目からは新しい年号でスタートできます。これって少しラッキーな気持ちがします。ちなみに私は1957年(昭和32年)生まれ、昭和を約31年経験し、来年元気なら平成も31年生きたうえで、新しい年号を楽しめる。これもかなりラッキーだと自分に言い聞かせています。子供の頃はまだ明治生まれの人が多く見えました。「明治の気骨」という言葉をよく聞きましたが、いつか「昭和の気骨」と言われるほど元気で長生きできれば、こんなありがたいことはないでしょうね。後半は独り言でした。
[参考資料] 5月2日経営計画発表会川西社長スピーチより
第51期経営計画の発表ができることを感謝します。
本年はトヨタネ株式会社として3年目、そして創立50周年を迎えます(会社設立登記日1968年10月31日)。創業時の変則決算の影響で第52期が50周年となります。半世紀は長い年月です。お客様、仕入れ先、関係先そして何よりも会社のために尽くしてくれた何百人にも及ぶ歴代社員のお蔭です。そして50年の年月を支えたのは創業の理念です。
●創業時の綱領(ミッションステートメント)
1.私たちは種苗農業資材の普及開発をもって社会に奉仕いたします。
2.私たちは相互信頼と常に明るい挨拶によって向上いたします。
3.必ず事業に成功し常に業界のリーダーたらん。
会社にとって50周年は少年期なのか、青春期なのか、壮年期なのか、それとも黄昏時なのでしょうか。会社寿命が100年ならば、壮年期ですが、200年超企業を目指すならまだ青春です。私は会社が青春期を迎える時だと信じています。これからが第2の創業、変化・変革の時だと信じています。
社長方針
全員の力で50周年を変化(CHANGE)の時へ!
弊社は長らく東海地域の販売業と自らを定義してきましたが、この数年大きく会社の在り方が変化しています。常に変化し、新しい地平を開かないと、人財は育ちません。育たないというよりも、変化しようとしなければ、組織も個人もゆでガエルです。人は憶病で変化を好みません。
従って変化は、常にそれを意識し続けないと止まってしまいます。50周年はCHANGE!そして青春のワクワクを楽しみましょう。「人はタフでないと生きていけない、しかし優しくなければ、生きる資格がない」という名セリフがありますが、人は変化しようとしなければ楽しくないし、ワクワクしないと思います。
CHANGE!
①売上3桁(億)企業へ(100億企業に耐えられる組織文化の構築)
②プロファーム及びオリジナル商品・サービスの広域展開
③大型生産設備投資(磐田第2ナーセリー)
④関連会社設立・提携・M&Aの新展開(マルカ商会・新会社設立)
⑤営業所展開の再構築(新安城 静岡再編 新営業所)
代表取締役社長 川西 裕康
2018.04.10 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
弊社には年3回の「新年」があります。1つは文字通り新年1月1日です(会社始めは5日から)。
2つめは新年度、弊社は4月30日が決算ですので、5月1日が新年度となります。社長としては、気合の入る日ですが、会社全体、社員からはほとんど気合が感じられません。5月1日はゴールデンウイークのど真ん中、メイデー、多くの社員にとっては休みにして欲しい位の日です。実際来年2019年5月1日は新天皇即位日、祝日扱いになるようです。そしてもう一つの「新年」は、新卒採用者入社日4月1日です。新入社員にとって記念日であるのはもちろんですが、私にとっては「人を雇用する」という責任を改めて痛感する日であり、昨年入社した社員にとっては新入社員の「資格」が終わる日、後輩ができる日でもあります。弊社の文化は新卒採用によって築かれていると言っても過言でありません。起業は50年前ですが、すでに3期目から大学新卒採用が始まりました。名前も売れていない小さな会社でしたが、「農業分野での貢献」を信じて弊社を希望してくれた新卒者に感謝です。会社の経営計画書「要員に関する方針」1.採用の第一項に、「当社の人財獲得は、新卒採用を基本とする」と明確に書かれています。これは単に新卒採用ありきというだけでなく、毎年新卒採用人財が獲得できる会社を継続せよ、また新卒人財が是非入りたいと思ってくれる会社であり続けろという会社経営に対する叱咤激励の方針でもあります。
実際今年も大卒高卒全員で16名(1名は農場研修生)が弊社の門をたたいてくれました。
(2018入社式4/2)本年は会社創立50周年を迎えます。激しい社会変化の中で大きなうねり、過度期を迎えていると実感しています。されど会社は成長してほしい。今年61歳を迎える自分にとって、生きて100周年を迎えることは絶望的ですが、本日入社した16名のうち、ひょっとしたら50年後100周年の折にも在籍している人がいるかもと思うと、とてもワクワクした気持ちになりました。
新卒採用は、我が社のアイデンティティの底辺を形成する「文化」です。
代表取締役社長 川西裕康
2018.03.06 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
間もなく52期を迎えますが、創業時の決算変更等の関係で本年が50周年となります。
いろいろ考えていると筆が進みません。
過去の資料を読み返していると、なんと自分も社長就任10周年ではないですか!
10年前は、今より10歳若かった。
当たり前ではありますが、筆が進まないことを口実に、社長就任時全社員向け初めての発言内容が残っていたので、恥ずかしながら当時の原稿を再録させていただきます。
師事する(株)武蔵野小山社長とケネディー大統領スピーチを足して3で割ったような内容です。
2008年5月17日経営計画発表会より
42期を迎えるにあたり、代表取締役社長の大役を仰せつかりました。
大変若輩者で心もとないですが、私の任務は渡された「たすき」を次の走者に託すまで走り続けることです。
この経営計画書に書かれた数値目標・方針の最終責任は、それを決定した社長にあります。
しかし社長一人では何もできません。
社員全員、そして協力会社の皆様が価値観を共有しながら、活発に議論し、間違ったらすぐ改め、行動を起こさなければ何も始まりません。
当社には40年間の歴史と伝統があります。
歴代社長の適切な判断・決定と常にお客様のために尽くしてきた多くの先輩社員が今日の当社の基盤を作っています。しかし時代の変化は我が社の都合を待ってくれません。
昨日の栄光が明日も正しいかどうかも疑わしい今日です。
時代は猛スピードで変化しています。こうした時代だからこそ、変えてはいけないことと、変えねばならないことを峻別し、変えねばならないことはいち早く決定し、行動に移すことが重要です。時としてそれは当社に奥深く根付く文化であるかもしれません。
黙っていては変化に追いつくことはできませんし、人は変化(改革)を好まないものです。
変化することは不安ですし、時として大きな痛みや離反を伴います。
変化できるのは志の高い人のみです。目指すのは、変化に対応できる人財を育て、組織の壁を乗り越えて、全員が顧客のために新しい価値を創造しようと行動に移す集団です。
会社が皆さんのために何をしてくれるかに思いを巡らすのではなく、一人一人が顧客のために何ができるのか、を常に問い続けていただきたいと思います。
どうか今期もよりいっそうの皆様のご協力をお願いいたします。
代表取締役 川西裕康
2018.02.07 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]
弊社はお蔭様で平成30年10月創立50周年を迎えます。
50周年と言えば、半世紀です。
誰しも認める節目であることは間違いありません。
創業の4名もすでに全員他界、創業時からの社員も一人もいなくなります(H30.4月現在)。
そうした中、尊敬する先輩経営者から社史の編纂を薦められました。
個人的には自己満足のように感じ、気が進まなかったのですが、この先誰も創業時の記憶を語れる人がいなくなる。
また新卒採用研修にも、会社の歴史を記録することはとても重要と考え改め、作成することにしました。
50年前私は小学5年生でした。
父親にドライブを兼ねてよく本社地に連れてきてもらいました。
一面の白菜畑、これから何が起きるのか聞いたことはありませんでしたが、夫婦の会話や、店の様子から新しいことが始まろうとしていることだけは感じていました。
1972年当社カタログ裏表紙より 今後更に50年後会社が存続し、その時の経営者や社員が50年史を読み返してくれたなら、何よりもありがたいことです。
「創業の理念」はすべての企業にとって、何よりも重要なアイデンティティ(自己存在証明)です。
創業時からすべてのスタッフが変わったにもかかわらず、同じ血が会社に流れているとするならば、そのこと自体が企業にとって解明すべき永遠の謎です。
変えるべきもの、変えてはならないものの価値基準が少しでも明らかになれば素晴らしい羅針盤となります。
創業から50年、どうして企業活動を継続することができたのか、お客様や、仕入れ先、地域社会、そして必死に頑張った経営者や社員のお蔭に他なりません。
今会社があり、これからも発展しようとしている時に、過去50年の恩、そして幸運を身に染みて感じるということは、とてもとても重要なことと感じています。
2018年2月7日現在(本社屋上より撮影)
川西 裕康